2009年08月27日 22:03
2009年08月26日 15:16
2009年08月23日 18:43
2009年08月22日 18:18
2009年08月22日 17:50
2009年08月22日 16:29












続いて、前方の丘の上にいる敵をめがけての訓練が公開された。上段左から;携行型迫撃砲の発射、装甲車に続いて90式戦車も突入。戦車はやはり迫力があった。2段目右;「突撃」の命令で最前方の普通科兵士(歩兵)が敵陣になだれ込んで制圧。
3段目からは展示されていた兵器の数々。3段目左手前は74式戦車。一時代前の戦車だが、まだかなり使われている。4人乗り、38トン、時速53キロ。4段目中は主力の90式戦車、3人乗り、50トン、時速70キロ。4段目右は戦車回収車。ぬかるみにはまって動けなくなったり、故障した戦車を引っ張ってくる。この日は見学者を戦車に乗せるサービスも行われた。90式戦車は希望者が多くて長蛇の列。そこで私は希望者が少ない96式装輪装甲車に乗せてもらった。10人が乗れ、最高100キロで走る。屋根から首を出すと涼しかった。(3段目右よ4段目左)
2009年08月21日 17:19
2009年08月17日 21:25
2009年08月17日 21:09
2009年08月15日 16:34



終戦記念日前日の8月14日、川湯から中標津に向かうたびに車の中から見ていた、中標津町計根別(なかしべつちょう・けねべつ)の畑の中に残る旧日本軍の飛行機防空壕を、車を停めて撮影した。インターネットで調べてみると、私が思っていた旧海軍ではなく陸軍航空隊のものだった。道東各地には、太平洋戦争中、北方からの米ソの侵入に備えて、上空からは見えにくく爆撃された場合、被害を最小限にする小型の飛行場が建設された。広大な畑地帯のここは、陸軍が計根別飛行場として、第1から第5まで5つの飛行場を建設し、互いを畑の中の誘導路で結んでいた。そしていまも残るこの防空壕は第1飛行場に属していた。この計根別第1飛行場は1942年1月に着工、44年2月に完成し、第73飛行大隊、飛行第32戦隊などが使っていた。滑走路は、コンクリート製の幅100メートル、長さ1500メートルと、土だけの幅150メートル、1400メートルの2本。格納庫8棟のほかに屋根のない掩体(えんたい)が28個、コンクリートの覆いがある掩体が5つあった。この一つがこの写真の防空壕だ。上空から見えないようにコンクリートの上は草で覆われている。いまは近くの人たちが農機具の置き場などにしているようだ。
2009年08月12日 21:28



ジャガイモにミニトマトの実 ?わが家の小さな畑での異変です。この春に植え付け、先日、紫がかった花をつけていたジャガイモ、いまごろは土の中でいもをいっぱいつけ大きくしているはずですが、よく見ると、葉っぱにミニトマトそっくりの青い実が5個なっているではありませんか。調べてみると、これはジャガイモの種で、これを実らせて乾燥させ、来年まくとジャガイモになるというのです。ジャガイモは本来、ナス科ナス属なので、このような実がなることはあるようですが、珍しいことには違いありません。従来からある男爵やメイクイーンでは、実がなることはほとんどないようですが、これはどうも新品種のキタアカリらしいのです。この実、これからどうなるのでしょうか。
2009年08月11日 12:01
2009年08月07日 22:35
2009年08月07日 22:28
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2009年08月03日 00:31
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