仁伏半島きのこ狩り ①

2009年10月27日 18:21

仁伏半島きのこ狩り仁伏半島きのこ狩り
仁伏半島きのこ狩り仁伏半島きのこ狩り
仁伏半島きのこ狩り仁伏半島きのこ狩り
仁伏半島きのこ狩り仁伏半島きのこ狩り


 10月26日、屈斜路湖に突き出ている仁伏(にぶし)半島へきのこ狩りに行った。私も加わっている老人会の行事だ。仁伏半島には環境省の手で散策路が整備されている。実は時期が少し遅い。でも大丈夫と出発。2段目左;ほうの木、大きな葉が霜で枯れている。右;猛烈な冷え込みで樹木が裂ける「凍裂」のあとがはっきり残っている木。3段目左;連れていったワンちゃんが突然、野ねずみ狩りを始めた。その右;ありました。食べられる、きのこ。4段目;かごはたちまちいっぱいに。



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仁伏半島きのこ狩り ②

2009年10月27日 17:59

仁伏半島きのこ狩り仁伏半島きのこ狩り
仁伏半島きのこ狩り仁伏半島きのこ狩り
仁伏半島きのこ狩り仁伏半島きのこ狩り
仁伏半島きのこ狩り仁伏半島きのこ狩り

 エゾリスがいた!だがこのリス、私たちの前で木から木に飛び移るサーカスをしてみせていたが、観客を意識しすぎて、地面に「ドーン」と落下。でも大丈夫、また身軽に登っていった。「ムキタケ」を発見、意外な場所にある。「ここにもあるよ」とワンチャン。3段目右;食べられないイレバコワシ。最下段左;サルの腰掛け。右;とれたてを使った、きのこ汁、きのこご飯は、おいしかった。





つつじが原エコウオーキング その1

2009年10月27日 17:31

つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング
つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング
つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング
つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング

10月25日、日曜日、「てしかがエコウオーク、強酸性温泉が作り出す標高150メートルの高山植物帯を歩く」が、最近発足した「ツーリズムてしかが」のスタッフによって行われた。20人近くが参加し硫黄山から川湯温泉までの小道を歩いた。
硫黄山はアイヌ語で「アトサヌプリ」、裸の山と呼ばれ、硫黄の噴煙が大小1500にのぼる噴気孔から立ち上っている。硫黄を大量に含んだガスの温度は摂氏100度を超す。これによって地下にある摩周湖の伏流水が温泉の湯となって川湯温泉街に噴出する。一方、硫黄山の北側100ヘクタールは、pH1.5~2.1という強い酸性の火山性ガスが流れることによって通常の植物は生えない。ここにあるのは北海道の他の場所では標高1500メートルの高山で生育する、ハイマツやイソツツジ、ガンコウランなどだ。何と、つつじが原は海抜150メートルという低さ。低い所なのに高山植物が生えている。ここが、つつじが原の面白いところだ。
上から3段目;手前から硫黄山、かぶと山、帽子山。枯れた木も地中に微生物がほとんど住めないため腐らずに残っている。まさに自然のオブジェだ。イソツツジは6、7月に白い花を咲かせるが、いまは霜でしおれた形相を呈している。でも葉はほとんど散らずに雪と氷の下で春まで過ごす。






つつじが原エコウオーキング  その2

2009年10月27日 17:22

つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング
つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング
つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング
つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング

 硫黄山のふもとは強い酸性で植物が育たない。このため降った雨はどっと流れ出てくる。砂防工事が施されている。本来ならば高山にしか生えない植物がここに生えている。しかしハイマツの背丈はそんなには低くない。高山ほど風が強くないせいか。3段目;ガンコウランとその実。ここは国立公園、実をとって口に入れてはいけません。最下段;途中の見晴台。かぶと山の硫黄山寄り半分には紅葉になる植物がない。







つつじが原エコウオーキング  その3

2009年10月27日 16:45

つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング
つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング
つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング
つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング

 つつじが原の小道をたどっていて気がついた。ここのシラカバは小さいのに白くきれいな木肌をしている。シラカバは、普通小さいときは茶色で、大きくなって白くなるのだが、ここでは火山性ガスでなかなか木が生長しないため、小さく見えてもかなりの歳月をへているのだ。3段目;3年前、心ない観光客のタバコの火で、イソツツジなどが燃える火事があったが、自然は自己修復し始めている。最下段右は土産用の木彫りによく使われるイヌエンジュの木。





つつじが原エコウオーキング  その4

2009年10月27日 16:23

つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング
つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング
つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング
つつじが原エコウオーキングつつじが原エコウオーキング

 3キロ歩いて川湯温泉街に入った。硫黄山に源を発した温泉がここで噴出している。温度はだいたい65度、硫酸強酸性の温泉はリュウマチや皮膚病によく効く。長さ10センチの鉄のクギも、この湯に漬けておくと、10日目には溶けてなくなってしまう(上から3段目の右)。一番下は川湯神社の樹齢300年のミズナラ。身近なことを科学的に学んだウオーキングだった。参加したオーストラリアからの4人と仲良くなった。





川湯温泉駅にマルティプル・タイタンパー

2009年10月24日 18:55

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 22日、川湯温泉駅にマルティプル・タイタンパーがやってきた。夜、保線作業をするためで、この1台で釧網線と花咲線を担当しているという。オーストリア製で、かなり大きい。まもなく釧路から5両編成の「ノロッコ号」 が入ってきて並んだ。


紅葉続報

2009年10月24日 18:44

紅葉続報紅葉続報
紅葉続報紅葉続報
紅葉続報紅葉続報
紅葉続報紅葉続報

紅葉の続報、川湯かいわいです。22日撮影。川湯温泉駅付近で、とてもきれいなピンクの花を見つけました。「花知らず」という名前だという。調べてみると、「イヌサフラン」で、初夏に葉が出て晩夏に散り、秋に花だけが出るという珍しい植物。コルヒチンという人を死に至らしめる強い毒性があるというので、ご注意!



てしかが歴史散歩 その1 プイラクニ・チャシの跡

2009年10月24日 18:03

プイラクニ・チャシの跡プイラクニ・チャシの跡プイラクニ・チャシの跡

10月18日(日)、弟子屈町公民館の主催で「ふるさと講座、てしかが歴史散歩」が行われた。30数人が参加し、4人の専門家が解説して町内をバスで回った。ほぼそのルートにしたがって、ご紹介したい。
最初に訪れたのは町の南部、釧路川右岸の川を真下に望む崖の上のプイラクニ・チャシの跡。16~17世、ここにアイヌの人たちが住んでいた。プイラクニはアイヌ語で「渦を巻いている川の流れ」という意味。チャシは見張りの場とか砦ということば。ここは釧路川上流域で最大で保存状況がいいところから、国指定の史跡になる見込みだという。





てしかが歴史散歩 その2 南弟子屈駅

2009年10月24日 17:35

南弟子屈駅南弟子屈駅
南弟子屈駅南弟子屈駅

 弟子屈町の一番南部にある釧網線南弟子屈駅に来た。いまは有蓋貨車が駅舎になっている寂しい駅だが、戦後は入植者や引揚者で利用者が多く駅舎も趣きのある木造駅舎だった。これを利用して映画「君の名は?」のロケが行われた。脚本では美幌駅なのだが、この駅舎に「美幌駅」の看板をかけて撮影が行われたという。当時、駅から伸びる通りがにぎわっていたことが信じられない現在の状況である。

 


てしかが歴史散歩 その3 営林署跡

2009年10月24日 17:08

弟子屈営林署跡弟子屈営林署跡
弟子屈営林署跡弟子屈営林署跡
弟子屈営林署跡弟子屈営林署跡

 弟子屈の街の中心部にある弟子屈営林署跡にやってきた。帯広営林局の下にあったが、組織改正で廃止され、建物はいま、てしかが郷土研究会が使っている。のちほど取り上げるが、川湯の硫黄山での硫黄採掘がわずかな期間で終了すると、弟子屈には産業がなくなるが、当時、全域を覆っていた豊かな原生林が幸運にも明治23年に御料局、のちの帝室林野局札幌支局川上出張所が設置され、明治30年に2000万坪にも達する広大な土地が御料局農地と決定され、入植者が募集された。翌31年、札幌農学校で学んだ小田切栄三郎が赴任してきて、畜産と畑作の混合農業を指導し、これが弟子屈の基礎を築いた。富山など各地から入植者が相次いだ。こうした歴史を持つ、もと弟子屈営林署の敷地には珍しい巨木が残っていて、「てしかが百年の森」と呼ばれている。たとえば中段左のアオダモは樹齢200年くらいとみられる。なお現在、弟子屈町内にある森林事務所は、釧路にある根釧西部森林管理署の下に弟子屈、美留和、屈斜路、川湯の各森林事務所がある。
下段の木造の建物は、終戦まで各国民学校に設置が義務づけられていた、天皇の写真と教育勅語を奉安した「奉安殿(ほうあんでん)」の一つ、仁多小学校にあったものが保存されている。




てしかが歴史散歩 その4 弟子屈村誕生

2009年10月24日 13:10

弟子屈村誕生弟子屈村誕生
弟子屈村誕生弟子屈村誕生
弟子屈村誕生弟子屈村誕生
弟子屈村誕生弟子屈村誕生

 弟子屈村は明治36年に誕生した。熊牛村(現在の標茶町)から分離して弟子屈外1村戸長役場が弟子屈の街に置かれた。外1村というのは屈斜路村のことで、つまり2つの村が共同で役場を運営していたのだ。当時の人口は2村で616人。弟子屈という名前は、アイヌ語で「ヤナの岸の上」という意味で、上段左の写真のみんなが集まっている場所がそうだった。ここは幕末のころ釧路川が湾曲していて、ヤナのような広い岩盤があり、アイヌの人たちが魚を獲ろうとしても、なかなかとれなかったそうだ。150年前の幕末に幕命で北海道の調査にあたった松浦武四郎が訪れたときに、ここには8戸の人家があっただけだったことが記録に記されている。内地から最初に住み着いたのは、石川県人の本山七衛門で、明治18年(1885年)、ここに本山旅館を開設した。この付近は弟子屈の中心となった。ちょうど硫黄山の採掘の時期だった。上段右は大正時代の本山旅館、その後、摩周パークホテルに発展したが、数年前に閉鎖された。本山の翌年に福山ウメが丸米(マルコメ)旅館を開いた。ここも閉鎖されている。弟子屈村は戦後の昭和22年7月1日、町に昇格した。弟子屈町の人口が一番多かったのは昭和35年、1万3262人だったが、いまは8500人に減っている。とくに平成になってからの弟子屈中心部の衰退がいちじるしい。下段右の写真はかつて映画館があった所。







てしかが歴史散歩 その5 殖民軌道と農業

2009年10月24日 11:50

殖民鉄道と農業殖民鉄道と農業
殖民鉄道と農業殖民鉄道と農業
殖民鉄道と農業キング式牧舎
キング式牧舎


 弟子屈の市街地からすぐの所から殖民軌道が始まっていた。現在は舗装道路になっていて、国道243号線より北側の仁多峠を通っている。殖民軌道は道路もまだ整備されていなかった大正から昭和初期にかけて、農家の生産物などを運ぶために北海道が道東、道北に建設した軌道幅762ミリの簡単な軌道で、農家は管理組合に使用料を払って自分の馬を持ち込んで台車をひかせた。弟子屈でも、大正8年(1933年)10月、弟子屈と東隣りの標茶町虹別との間約21.9キロの弟子屈線が開通したが、6年後に峠から標茶側の線路が撤去されて、短い区間しか使えなくなった。それも昭和24年2月で廃止になった。この殖民軌道は北海道独特のもので、戦後は簡易軌道という呼び名で馬に代わってガソリンカーにひかれて使われていたが、昭和46年を最後に姿を消した。地図は、新潮社発行の「日本鉄道旅行地図帳、1号、北海道」から。
もうひとつの平野部が写っている付近、摩周山麓には、昭和10年3月、この地方に合った農業経営を体験させるための拓殖実習場釧路実習場が開設された。北海道が道東・道北の5カ所に開いたもので、釧路実習場は摩周山麓の1000町歩という広大な土地が与えられた。実習生たちは1年間の寄宿舎生活で家畜を主体とした農業を学んだ。現在、この地は摩周湖カントリークラブなどになっている。一番下は、かつての代表的な牧舎である「キング式牧舎」。これとサイロは酪農家の象徴だったが、いまはサイロは不要となり、牧舎はカマボコ型に変わってきている。



てしかが歴史散歩 その6 美留和の湧水

2009年10月24日 10:58

美留和の湧水美留和の湧水
美留和の湧水美留和の湧水
美留和の湧水美留和の湧水

 有名な美留和(びるわ)の湧水にやってきた。摩周湖から直線で6キロ、摩周湖の湖底の標高と、この美留和の標高がほぼ同じなところから、摩周湖の伏流水がここに出てきていると考えられる。この日は高度計や水温計でそれらが説明された。実際に水の成分が摩周湖の水と一番似ているという。説明にあたる、てしかが郷土研究会の細川音治さん。




てしかが歴史散歩 その7 硫黄山精錬所の跡

2009年10月23日 21:55

硫黄山硫黄山
硫黄山硫黄山
硫黄山硫黄山

 バスは国道391号線から池の湯林道に入り、しばらく北進すると、硫黄山南側の低いかん木がわずかにある、禿げた土地に出会った。ここが弟子屈や道東の発展のきっかけを作った、硫黄山の精錬所の跡だ。とはいっても、いまも残る釜の残骸から見ても原始的な濃縮が行われていたようだ。明治10年、佐野孫右衛門が政府の許可を得て、北側にそびえる硫黄山(510メートル)で露天掘りを開始。ここで濃縮した硫黄を400頭の馬を使って、45キロ下流の標茶まで運び、そこからは釧路川を汽船で釧路まで輸送した。明治20年、採掘権は安田財閥の安田善次郎の手に移った。安田は資本を投入してこの間に北海道では2番目となる鉄道を敷設。この場所の手前でYの字に分かれた線路がここまで入ってきた。しかし乱掘がたたって、わずか9年で大規模採掘はできなくなり、鉱山と鉄道は廃止された。硫黄は火薬、マッチ、肥料などの原料で、日清戦争もあって、高く売れた。安田は投資を回収してあまる利益を上げたようだ。囚人労働などの問題をかかえてはいたが、この鉱山の開発は、川湯や弟子屈の宿、弟子屈の人口増、釧路の炭鉱、釧路港の整備などを呼び起こした。




てしかが歴史散歩 その8 硫黄山と鉄道

2009年10月23日 20:50

硫黄山(北側)硫黄山(北側)
硫黄山(北側)硫黄山(北側)
硫黄山(北側)硫黄山(北側)

 古代から硫黄の黄色い噴煙を上げ、今も観光地になっている硫黄山の北側。明治の短い期間は、まさに野蛮な収奪式露天採掘が繰り広げられた。多くの囚人が過酷な労働で命を落とし、両手を縛られた状態の遺体も後に発掘されたという。中段左は硫黄の原石、右はここで精錬し純度が高まった硫黄。
下段の蒸気機関車は、当時硫黄を輸送するのに使われたアメリカ製機関車、進善号の3分の1模型。線路幅は今のJR在来線と同じ1067ミリ。貨車はイギリス製、レールはドイツ製だった。この鉄道=安田鉱山鉄道は明治20年に開業、明治25年には一般旅客も乗せられるように釧路鉄道と改称したが、明治30年、鉱山の休止とともに廃止された。まさに悪夢のような繁栄だった。のちにこの線路に沿って現在の釧網線が敷かれた。




てしかが歴史散歩 その9 青葉トンネル

2009年10月23日 20:10

青葉トンネル青葉トンネル
青葉トンネル青葉トンネル

 鉄道線路の路盤はいまも残っていて、青葉トンネルと呼ばれている。硫黄山のトイレの脇から入っていくと、トンネル状の木々に覆われた狭い道が続く。土木機械もなかった当時、付近の土を人力で掘って線路の路盤を盛ったらしく、いまも掘った跡が見られる。囚人も多く使われ、死者も多く出たようだ。





てしかが歴史散歩 その10 山の神

2009年10月23日 18:17

山の神山の神山の神

 池の湯林道の脇に「山の神」があった。以前、林業が盛んなころ、作業現場には、このような鳥居が建てられていた。

てしかが歴史散歩 その11 更科源蔵と畑作地帯

2009年10月23日 17:55

更科源蔵屈斜路畑作地帯屈斜路畑作地帯

 左;更科源蔵(さらしな・げんぞう、1904~1985)は屈斜路湖畔・コタンの小学校で代用教員をしていたが、そのころよく散歩していたと思われる高台から見下ろしたコタン地区。更科源蔵は詩人、郷土歴史家。弟子屈町熊牛原野に生まれ、麻布獣医学校中退。アイヌの悲しい歴史に根ざす抒情詩「種芋」などの詩集や著作がある。「弟子屈町史」も表わした。中と右は屈斜路原野の畑作地帯。畑作だけの農家は町内に20戸しかないという。ところで摩周湖と藻琴山の間は屈斜路カルデラになっている。長径が26キロ、短径が20キロで、阿蘇カルデラを超えて日本最大である。
北海道の歴史は浅い。大部分が明治以降だ。それでも、それなりの歴史があり、それを知らずに生きることは恥ずかしいことだ。3年前に移住してきた私もこれでようやく市民権を得られたかも、、、。紅葉も沢山見れてよかった。

紅葉真っ只中 

2009年10月20日 21:52

紅葉真っ只中 紅葉真っ只中 
紅葉真っ只中 紅葉真っ只中 
紅葉真っ只中 ugui

coloerdleavescoloerdleaves

道東はいま紅葉の真っ只中。20日、わが家周辺を撮影してみた。屈斜路湖では大きく育った「うぐい」が群れをなして泳いでいた。




仁伏のターシャの庭では

2009年10月20日 21:37

chrysanthemmgumigumi

 私たちが勝手に「仁伏のターシャ」と名づけている渡辺のおばあさんの庭では、いま秋の花が今年最後の輝きを見せている。菊の隣りでは、ぐみの木が赤い実をいっぱいつけている。食べるとしぶくて甘い。10年ほど前に町から苗木をもらって植えたという。ぐみは北海道でも育つのだ。

そ上するサケ

2009年10月18日 22:49

そ上するサケそ上するサケ
そ上するサケそ上するサケ
そ上するサケそ上するサケ

道東各地の河川では、いまサケたちのそ上が盛んだ。写真は16日午後、大空町東藻琴のシバザクラ公園脇の小川、東洋川で。この小さな川はオホーツク海に注ぐ藻琴湖。藻琴川の支流で、河口から約20キロの地点。文字通り命をかけて産卵に来る姿は、生命の尊さを感じさせる。


エゾリス

2009年10月18日 22:32

squirrelsquirrel
squirrelsquirrel

 給餌台に現われたエゾリス。網走・天都山・ホテル・ビューパークリゾートで。
北海道にはエゾリスとシマリスがいて、シマリスは口を袋のようにして大量のえさを口に含んで巣に運ぶ習性があり、冬眠する。だがエゾリスは冬眠せず、エサを口に大量に含むこともしない。


網走湖の朝

2009年10月17日 22:03

網走湖の朝
網走湖の朝網走湖の朝
網走湖の朝網走湖の朝


10月16日午前7時すぎ、網走市の天都山から見た網走湖。


夕暮れ

2009年10月17日 21:49

ある日の夕暮れ

 10月15日午後5時8分、大空町で。

 

雲がたなびく斜里岳周辺

2009年10月17日 21:47

たなびく雲たなびく雲

 15日午後4時半、小清水峠から。

知床の山々は雪化粧

2009年10月17日 20:56

知床の山々雪化粧知床の山々雪化粧
知床の山々雪化粧知床の山々雪化粧
知床の山々雪化粧

 羅臼岳(1661メートル)など知床の山々は、台風18号やそのあとの低気圧と冷え込みで、いつの間にか雪化粧をしていた。15日朝撮影、浜小清水から。その下は網走港の帽子岩を望む海岸町からの同じ山々(16日朝撮影)。一番下は斜里岳(1547メートル)。


知床半島から昇ってきた朝日

2009年10月17日 20:52

知床の朝日


 10月15日午前5時51分、オホーツク海・浜小清水海岸から。

オオハクチョウがやってきた!

2009年10月12日 21:22

ハクチョウ飛来ハクチョウ飛来ハクチョウ飛来
ハクチョウ飛来ハクチョウ飛来ハクチョウ飛来

今年も屈斜路湖にシベリヤからオオハクチョウたちが飛んできた。晴れ上がった12日朝、屈斜路湖北端では10数羽が確認された。黒っぽい幼鳥も多く混じり、盛んに逆立ちして水底の藻などを食べていた。12日は朝の5時はー0.6度と冷え込んだが、午後2時には14.1度になった。







台風18号で記録的な雨量

2009年10月09日 20:55

台風18号台風18号台風18号
 
 超大型の台風18号が9日未明、釧路沖を通った。北側にあたる道東では、かなりの暴風雨となった。川湯では8日午後4時の降り始めから9日夜8時までの雨量が98.5ミリに達した。ちなみに8月1カ月間の雨量は68.5ミリ、9月は150ミリだった。また平均風速が8メートルもあったため、森の中では倒れた木が多かったに違いない。9日午後1時20分撮影。