2014年06月24日 18:43
2014年06月24日 18:25






木古内(きこない)は、2016年春の北海道新幹線開通が近づいてきて町全体が盛り上がっているように思えた。本州側から来ると、青函海底トンネルを抜けて最初の北海道側地上駅となるからだ。新幹線の駅が江差線終点の在来線の木古内駅の横に並ぶ。そこを過ぎてしばらく走り知内(しりうち)の道の駅に寄った。そこにはことし3月15日に廃止された知内駅があり、複々線の線路の横で工事が進められていた。突然、鋭い汽笛とともに貨物列車がやってきた。長い編成だ。この先で線路は2本、つまり複線に縮まり、地面に潜って次第に海底トンネルに入っていく。と思ったらこんどは電車特急が本州側からやってきた。2016年3月に北海道新幹線が開通すると、ここは「湯の里知内信号場」となって、本線2線とその外側に副本線2本が置かれ、トンネルで異常が起きたときの待機場所になるという。
ここを離れて山間部を通り抜け福島町の海岸に近づくと、海底トンネル博物館と相撲博物館があった。福島町は千代の富士と北の富士という2人の横綱が出た地だ。
松前町に近づくと、鉄道の廃線跡があった(大きな写真4枚目)。 これは1988年(昭和63年)3月13日に海底トンネルが開通して津軽海峡線が走り始めると同時に廃止された松前線の跡だ。
2014年06月24日 17:28
2014年06月24日 17:03








白神岬を過ぎてまもなく松前に入った。本州にある小さな城下町の雰囲気。気候温暖なここには縄文時代から人が住んでいた。アイヌの時代を経て平安末期から和人が流れ着き、関ケ原後の1606年、松前藩が成立した。コメはとれなかったが、北の物産を北前船で京大阪に運び繁栄。しかし北海道全体を支配できず、1807年、幕府によって藩は陸奥に移された。榎本武揚による幕府脱走軍が箱館に上陸、土方歳三によって松前城を攻め落とされた。
江戸時代、松前藩は懸命になって寒い北海道に内地の植物や生活を持ち込んだ。それがいま見事な桜並木や孟宗竹林となって残っている。また現在の松前町は城を中心とした江戸風の街並みづくりを進めている。銀行や郵便局、歯医者さんまで白壁の建物だ。公園に鹿児島からペダルをこいでやってきた青年の自転車が停められていた。
2014年06月24日 16:13




松前の街を後にして国道228号線=追分ソーランラインを北西にカーブするころに沖合に島が見えだした。松前小島だ(上から1枚目と2枚目)。人は住んでなく避難のための漁港があるようだ。国指定の天然記念物になっているので上陸には文化庁の許可が必要。3枚目はさらに沖合の、雲をいただいた渡島大島。標高737メートルの江良岳がある島で、ここも人は住めそうにはない。しばらく行くと、2つの島が一枚の写真に納まる展開となった。このあたりに来ると、国道はいつの間にか山の中腹を走るようになり、日本海を左に見ながらのドライブとなった。おそらく以前の国道は、下の海岸に点在する小さな漁村を結ぶ狭い道だったに違いない。道路改良に感謝しながら北に進む。奥尻島はまだだいぶ先で見えない。
2014年06月24日 16:11
2014年06月19日 21:09
2014年06月19日 20:47
2014年06月19日 18:21
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2014年06月05日 10:17
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